生き方もわからないのに死に方を知ろうとする

ベローチェのご婦人たちの話

ベローチェで横に座っていたご婦人たち。

なんと、「死に方」の話をしていました。

バドミントンを愛してやまないご友人がバドミントンの試合の最中に亡くなったと。

また、一人暮らしのご友人。

様子を見に行った近所の方から遺体として発見されたと。

いわゆる孤独死、です。

ご婦人方は子供に迷惑をかけたくない、と話しておられました。

そして終活として物を減らしていかないと、と。

思わず耳を傾けてしまう私。

生き方も定まっていないのに死に方を考えます。

絶対に決まっていること

生まれた瞬間に決まっていること、それは死ぬこと。

生まれた赤ちゃんがどう生きるかはわからない。

でも、命はやがて尽きるということは決まっているのですよね。

大切な人の死が怖いです。

若くて元気な私も、だいすきなあの人も、大切なあの人も、いずれ死ぬ。

病院で一人、亡くなったおばあちゃん

亡くなる場所として可能性が割と高めなのは病院かもしれません。

病院はおばあちゃんが亡くなった場所。

そしておばあちゃんの死こそが、私にとって一番身近な人の死でした。

モルヒネを打ってから、二度と目を覚ますことがなかったおばあちゃんの姿。

最後に話したことは思い出せません。

でも、話せない状態だったけれどおばあちゃんの生きている最後の姿は覚えています。

癌になったおばあちゃん。

闘病生活で、私はなるべく普通に接していました。

そしておばあちゃんとろくにゆっくりと話す時間がないまま。

おばあちゃんは逝っちゃった。

生まれてからずっと一緒に暮らしていたおばあちゃん。

別れの挨拶なんてするタイミングもわからなかった。

最後の最後まで、特別なことはしてあげられなかったな、と思います。

おばあちゃんが亡くなった病院が暗い雰囲気だったからか、病院で死にたくないなぁと思います。

担当医の先生が「イケメン」と喜んでいたおばあちゃん。

おばあちゃんがこれまでそんなこと言うのを見たことがなかったので、

亡くなるちょっと前におばあちゃんの新たな一面を見れた(笑)

おばあちゃん、会いたいなぁ。

理想の死に方

大きな病気をせず、天寿を全うする。

おばあちゃんになって、ぽかぽかな暖かい日差しの中、お昼寝をしている時に逝っちゃいたい。

ピンピンコロリ、と言うのかな。

ポイントは、暖かい日差しの中^^

だいすきな木漏れ日の中でも、おうちのお気に入りのソファでも^^

この死に方は自分だけでなく、大切な人すべてに適用してほしいと思う。

・・・なんて考えるのは余計なお世話かしら^^笑

おばあちゃんの死で感じたこと、人の死は突然。

ありがとう、って言いたかった。

と心に残る。

こういうことはここぞ、というときにとっておくのでなく、日常的に伝えたいことは伝えておけばいいんですね。

大切な人を大切にしよう。

穏やかにそのときを、どっしりとした気持ちで迎えられるといいなぁ。

どう死ぬかは、わからない。

自分の死を振り返ることもできないのかな。

死に方よりも生き方を

ベローチェのご婦人のように、私は人生を長く歩いているわけではありません。

若くして亡くなる人もいるけれど、少なくとも平均寿命まで生きるとして、私はまだまだ死ぬことを深く考える年齢に達していない気がします。

明日の生き方もわからないのに。

ちゃんと生きていれば、積み重なっていい人生にきっとなる。

だから今日もご飯をよく噛んで食べるし、身なりを綺麗にする。

夜道を歩きながら、アンパンマンの歌を聞いて、どう生きるかのヒントを得ることができました。

 

 

 

 

 

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